Sunday, September 12, 2010

英語を使ってアートを学ぼう「Leonardo Da Vinci」(その1)

初参加のアートセミナーは、私にとって一石二鳥なクラスでした。クラスの配布資料含めて、英語で開催されるというなんともステキなセミナー(といっても、半分くらいは日本語フォローありですが)。好きこそものの上手なれ、なんて言葉もありますが、アート専門用語はまるっきりわからないものの(というか、今日けっこう覚えたぞ!)先生のお話はほぼ理解することができたので、(^_^)v気分になりました。うひひっ〜

てことで、初挑戦の本日のテーマは、Leonardo Da Vinciでございます。私の好きな画家の一人。いや、そもそも究極的にアート好きになった大学時代、完全なるルネッサンス傾倒だったのでLeonardoとMichelangeloは、かなり勉強したよな〜って思い出しました。プラス、特にLeonardoは数年前に大流行りした某映画で学びましたよね〜(笑)。

今回のセミナーを受けて、改めて思ったのは私はアートとしての彼らの「作品」も好きだけど、それを描いている本人の人物像やその歴史的背景の中での状況を知ることがとっても好きみたい。だから今日のクラス自体も、後半のLeonardoの思いとかコンプレックスを読み解くことが面白かったな。

*The painter is lord of all types of people and of all things. If the painter wishes to see beauties that charm him it lies.
*Music may be called the sister of painting,for she is dependent upon hearing ,the sense which comes second.
*But painting excels and ranks higher than music, because it does not fade away as soon as it born, as is the fate of unhappy music.
*You have set painting among the mechanical arts. etc....

彼が生きていた1500年代後半、Painting はヒューマニストと比較して下のランクにあると見なされていたそうです。彼にとってはそれは許されない現実だった。先生曰く、Leonardoにとって、それはずーーーっとコンプレックスだったみたいです。だからこそ、こんな言葉を残したのでしょう。正直、"それは理由になってないのでは?”なんて見方も今を生きる私たちにとってはもあるのだけど、それでもなんでも彼の中では「認めてもらいたい」願望が強かった証拠なのかもしれないね、この言い分はあまりに気持ちが強すぎる。

20世紀を生きぬいてきた画家;昨日も触れたピカソやマティス(http://soeur-miyu.blogspot.com/2010/09/continue-to-challeng.html)もそうだったけど、芸術家というのは生きている時代には認められないことが多いように思います。後世になってはじめてその価値を認識されるという意味では、きっと誰よりも「先を行く」感覚をもっていたので、その時代にとっては「新し過ぎた」のでしょうね、だから生きにくい。そして、亡くなった後の開花を知っている世代を生きる私としてはなんだかとっても心苦しくなる。「先見の目をもつ人が辛い状況にあるって、許されることなの?」と問いたくなる。

自分の人生にとって本当に必要なものはなんなのだろう、と向き合っていった時、自然に淘汰されていくものがある。そして、本当に欲しているものが見えてくる実感もある。プライオリティ付けっていうことに尽きるのかもしれないけれど、どうしても先行したいものって、削ぎ落としていくことによって見えてくる、ある意味そういう状況にならないとわからないのかもしれない。

で。今の私にとって必要なもの。それは先人からの学びであり、アートと共に歩んできた画家達の歴史から自分自身の「価値観」を再認識することなのかもしれない。ある人は政治的偉人から学ぶと聞いたけど、私にとってはアートからの学びなのだと思う。

なんだろう、うまくいえないけど。。。
面白い。

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