Saturday, November 13, 2010

「イサム・ノグチ - 宿命の越境者 -」(ドウス昌代 著)

イサム・ノグチの母親であるレオニー・ギルモアの自伝映画「レオニー」を先週月曜日に観て以来、なんとも私の心から離れない。

過日もここでつぶやいた通り、母であるレオニーの人生とはなんだったのか、彼女は最後の審判で「幸せだった」と神に伝えることができたのか、ヨネという父親は一体子供であるイサムにどんな影響を与えたのか、そして彼自身への影響とは・・・。地元である札幌に由縁あるイサムだからこそ、なんだかとても知りたくなって、ついつい本を手に取り一週間。本日、読み終えました、380ページ×2巻の大作。いや~、久しぶりに読みごたえがあったぞ。

映画本編は、この自伝においては上巻の1/3程度で終わります。彼の人生と母の人生の長さの違いもあるのだから当然のことだけど、あらためて映画にある1/3の幼少期が彼の人格形成に与えて重さを感じるばかり。そして、映像になっていないからこそというか、書簡や残された日記から知りえる彼の孤独や<アイノコ>であったことへの苦悩、そんなことが影響してからなのかの女性遍歴。昭和という時代を生きた彫刻家、イサム・ノグチの存在自体が世界の歴史であった、そんな気持ちにすらさせられました。まさに帯広告にある「20世紀をまるごと生きた!」、そんな印象だな~。

常に自分のポジションを「境界」にあると認識し、正統(純粋な日本人であったり、アメリカンであったり)さへの反骨精神によって「生」を燃え上がらせたイサムのアート。そんなどこか危うく、悲しく、帰属してないからこその問い続けたテーマであり、東洋でもあり西洋でもある、そんなどこか安定しないものを作り出す源だったのかもしれないね。

彼が晩年、札幌で最後の仕事をすることになった経緯が下巻の最終章に書かれていました。イサムが札幌をはじめて訪れたとき、北海道の風景にアメリカを感じ、”日本のフロンティア”だと思ったのだそうです。確かに彼が訪れた時代(1980年代後半)であっても、北海道はそんな雰囲気が残っていたのだなと私自身も感じるし、今も実は思っていたり・・・。東京で今は暮らすけど、私のアイデンティティは明らかに西で幼少を暮らした人とは異なっていると常日頃感じるし、そもそも日本がベースで育った私だというのに、「帰国子女」疑惑が持ち上がることもしばしば。きっと彼曰くの”日本ノフロンティア”精神をもっているのかもしれませんね。

札幌市がイサムの作品の為に用意した場所のうち、付け足しのようにあったゴミ処分場・モエレ沼に立ったとき、彼はそこに心を奪われ、「全体をひとつの彫刻とみなした、宇宙の庭になるような公園」の可能性を語り迷うことなくそこを選んだそうです。ふと気がつけば、3年ほど足を運んでいないその場所へ次回帰省時には行ってみようかな(かなり遠くてさみしいけど)、なんて思います。

イサムの言葉から-
石が思うような割れ方をしなかったりしたとき、それがけっして悲観すべきことではないと受けとるようになってきた。思う通りにいかないときには、自然の力に逆らったときだからだ。石に耳を傾けるのではんく、ぼくが我を通そうとしたからだ。間違いを起こしたとき、神はぼくの戸口をノックする。よく耳を傾けなさいとね。

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