Friday, September 30, 2011

私の原点「DTD」

来月、私の職場であり原点である会社「デジタルツーカー北海道(略称:DTD)」の開業15周年記念同窓会が「@札幌」にて開催されます。先月末に幹事チームから連絡をもらって、当時のことを思い出しつつ、こちら(東京)に暮らしている当時のスタッフ達と連絡をとったりの日々。もともと最初に入社した会社であり、育てていただいた思い出深い会社であるが故に感慨深い。

一昨日、最初の上司であるSさんから連絡をいただき、該当日はボランティアで東北入りをしているから不参加と聞いて、とっても残念ではありつつも「Sさんらしいなー」って思う自分も。そうなんだよな〜、Sさんという人は心底そういう人。たまらなく人に自分に厳しくて、だけどたまらなく温かい。当時の幼い自分にはわからなかったけど、「自分を一番必要としている人、自分がいなければいけない場所」をわかっている人だったと、東京に来てから...そしてさらに最近、ようやく気づけたかもしれません。私も大人になったのでしょうか。

彼に教わったことは本当に数多くてリスト的に並べることすら陳腐な気がします。そもそも現場主義な人だったから、まずは「現場で一人でやってみろ」というのがスタンスであって、幾度となく現場研修(ある意味、おかしいくらいのご奉公状態)に行かされて、その後は指示がまったくこないという放置プレー。「現場を知っているなら、まずは自分で考えろ」っていうことをきっと教えてくれようとしたのでしょう。でもね、若い時分はそんなことわかりません。仕事..というか上司業務放棄にしか思わなかった。彼が3年目に異動になった時、「ようやく解放される」って思った自分。浅かったよな。。。

Sさんの上司wayは後々ジンとくるというか、何を言いたかったのかわかるようになった時、そんな経験を与えてくれた奇跡にたまらなく感謝するようなもの(本人はそんなことを全く望んでないんだろうけど)。きっときっと、こんな部下もって大変だったろうなっていうくらい私は彼に対して反発し続けたし、手がかかった部下だったと自覚はしているのです。だってその反発っていわゆる「反抗期」みたいだったから、我ながら酷かったんだもん(当時の知る人は知っているだろうけど)。ほんと、子供だったよね。w

なんていいつつ。「親の背中を見て、子供は育つ」と世間では言われます。私にとっての仕事の父であるSさん。今週、本社の韓国人スタッフに「Mさん、コワイです。どうしてそんなに厳しい言い方するんですか?ボクの立場を理解してください。大変なんです」と言われたけれど、私が彼に伝えたのは一言だけ。

「だって、これは仕事。SOWという言葉があるけれど、私は最善を自分の領域の中で尽くします。だからあなたも頑張ろうよ、私だってあなた以上に抱抱えている日本スタッフに対しての責務があるのですから、まずはやってみてダメなら考えましょ。」

そう、プライベートじゃなくて仕事。そして、仕事に対しての向き合いはSさんそっくりな私。
怖くて結構。でも、最大限頑張る。それは父からの学びでありDNA。

ということで、仕事で私に関わる皆様、ごめんなさい。
私のお父さん、たまらなく厳しい人だったんです。乾いた雑巾絞れっていう人だったんです。だから、こんな私がいるのです。
許せ!(w

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