Friday, December 18, 2009

「サヨナライツカ」その2

クリスマスの時期になると、必ず「Le Petit Prince(星の王子様)」を読みかえします。

もう何年続けている儀式となったでしょうか。この短いストーリーをこうして同じ時期に読むたびに色々なことを考え直したり、今まで気にならなかった言葉が気になったり、その一年の自分の変化を意識する機会となって、ちょっと楽しくなります。

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王子様がキツネと会った後に、たくさんのバラたちに会いにいって伝えた言葉。

「きみたちは、美しい。でも外見だけで、中身はからっぽだね」「きみたちのためには死ねない。もちろんボクのバラだって、通りすがりの人からみれば、きみたちと同じだと思うだろう。でも、あのバラだけ、彼女だけが、きみたちぜんぶよりたいせつだ。ボクが水をあげたのはあのバラだもの・・・」

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キツネは王子様に、絆を結んだもの(=なつかせた)には「意味」が生まれること、互いになくてはならない存在になること、世界でひとりだけの存在となることを伝えました。だからこそ、王子様にとってバラはそこにある多数のバラではないものであることを気づかせたんですよね。これは何度となく読んでいるストーリー展開。

ちょうど数日前に、「サヨナライツカ」を読んだばかりだからでしょうか。このくだりを読みながらふと頭に浮かんだのが「サヨナライツカ」の沓子がつぶやいた言葉です。

「君に愛された時、私は意味を帯びる」

沓子はこの時、「愛されること」を強く求めていた女性として描かれています。でも、ここでいっている「意味」という言葉は、きっとキツネが教えてくれたことと既に同義で使っていたのはないかな、と。というよりも、きっとこの言葉を好青年に発した時、既に言葉の裏には「私は君を愛しているから、君は(私にとって)意味がある存在だ」という思いを持っていたのではないでしょうか。でもきっと、自分でも意識していない。それがきっと、彼女の悲しさの根源なのかもしれません。

人は、相手に費やした時間も含めて、「意味」が生まれると言います。
それは会っていない時間すら、色々な事象から相手を思い出し、幸せな気持ちになるという副産物も与えてくれるでしょう。

私も誰かにとっての、「意味」ある人になりたいものです。w

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