Monday, July 27, 2015

「日付変更線」(辻仁成 著)

今回の旅のお伴に選んだのはこの作品。久しぶりの辻さんの長編作品です。
往路の機内で読み始めてから実はかなりの一気読み....というか、止めることができなくなるくらいはまりました。

日本とハワイの時差は19時間。日本にとってハワイはつねに昨日の世界、ハワイからみると日本はつねに明日の世界。私の場合は、欧州に向かっていたのでその時差の半分で生きている感じなので、ちょっと戻るけど昨日って感覚ではない場所にいる、なんて改めて時差について「過去」「今(現在)」「未来」について考えたりしました。だんだんと旅慣れてきてしまっているのもあるけど、これって本当はスゴイことですよね。便宜上、よかれと思って私たちは時間を決め、国を区切り、たとえそれが愚かなことでも、そのせいで苦しんだとしても、そういうもんだと思って生きてきた。なんだか今回はそんなことを色々考える時間となりました。

そういえばこの数年、私自身がもしかしたら、時間をいったりきたりしていたのかもしれません。懐かしい人との振返り時間という「過去」、そして彼(彼女)が「今」生きている時間の共有、新しい人(時には本人)との出会いという「未来」。その瞬間、自分が異空間にきたからこその体感でもあるし、ソーシャルメディアの発達によっての「今日」という日をつながったままでこそ感じているから故の不具合というか違和感というのかもあるのかな。だから本当の意味での「時間旅行」なのかも...。

劇中にあった「運命」という言葉についてのやりとりは、私の中で「なるほど」というかとてもしっくりきた解釈。

“「運命というのは、結果に対して使う言葉だ。まだ何も始まってないものに使える言葉じゃない。君が言う運命というのは、ただの誤解とか錯覚のことを指す。死ぬまで、人間は、それが運命かどうかなんて分からないものだ。」”

“「運命の出会い、と人は自慢する。最初からぼくらは出会うことが決まっていたんだって、目を輝かせて言う。でも、そうじゃない。出会った結果に、運命が後付けされて、さも、その出会いが、あらかじめ神によって定められていたかと思うような、神々しさを生み出す。卵が先か、鶏が先か、ってのに似てる。運命は言わば、出会った結果を、より神秘的に見せる後付けの装飾品に過ぎない。人間は出会うために日々を生きてきた。その努力が二人を出会わせた、と思うのが正しい。」”

「運命」はそこまでだと本人が決めた時に使う用語。だから、「結果」。
運命って、自分で決めたことなんだ...。諦めたから出る言葉なんだ...。

そういう意味や解釈なら、私は「運命」を認めたくない。
価値ある「過去」を過ごし、意味ある「今」を生きること。私にとっての「未来」はまだ信じられるものでいてほしい。そして、私の歩んだ「過去」から繋がっていて欲しい。

http://renzaburo.jp/dateline/

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