Thursday, May 21, 2015

本当の優しさとはなんだろう。

どうやら私はなんだか「心が強いタイプ」らしい。いや、違う。ここが限界っていうラインを知っているタイプらしい。

周囲から言わせると「普通は参っているだろう」とか「鬱になるでしょ〜」と心配というか確認をされることはなにげに多分に(苦笑)に起きている人生ではあるけれど、きっとそのセンサーの性能がいいのでしょう。いまだ心を壊したことはありません(親しき友人たち、私はびっくりするくらい気分転換が上手らしい)。

一方でこんな私ながら不思議と、私の周りにはちょっと心が弱っている人が集まってくる傾向があると自覚します。彼らにとって私が話しやすい人と思ってくれたりするのはとても有り難いと思うので、なんといわれようと私は私らしく彼らに接したいなっとも思っていたりもするのです。

冷静に考えると私って、おそらくとっても冷たいのかもしれません。だって、最終的に解決するのは自分って思っているのだもの。だからあまり優しい言葉とかおせっかいなこととかしない...というかそれを期待するなら無理かもというか、ごめんなさいって思う。

アドバイスは有り難いけど、それが正しいって言われると受け入れられない。あなたはできるかもしれないけど私とは違うとか言われるとかいう人。はい、ごめんなさい、だったら私の前から消えてくださいって思う。だって、人間って「変化しよう」っていう気持ちをもつことは誰にだって平等に与えられている感情だから。ようはそれを諦めて錆び付かせてしまっているかどうかだって思う。そして、アドバイスの押し売りは、短期的にはいいことかもしれないけれど、それで人は救われないから。

ある会でご一緒した方から言われた言葉。
「あなたはたまにしか彼女に会わないから、そんな風に言えるんです。心配じゃないんですか?嫌われてもいいから、彼女に無理でも○○させるようにしないと立ち直れないんです。あなたはドライすぎる」

かもしれない。だけど、私は自分の力で相手を救えるとは思わない。あくまでも本人が自発的に立ち直ろうとか変わろうと思う気持ちがない限り、人は本当の意味で立ち直ることはできない。だから私は、ただシンプルに相手に寄り添いたいと思うし尊重したいと思う、そのままを受け入れたいと思う。無理に○○しろではなくって、彼女が自発的に○○したいって思えるような、そして前進したくなるようなことを提供できる自分でありたいと思う。

「嫌われたくないから○○をすすめないんでしょ」。
なるほど、そういう風にとることもできるのが私の振る舞いなのかもしれない。指摘をうけて初めて気付いた。だけどやっぱり、私はそれが本当の優しさだと思わない。言葉を恐れずいうと偽善だ。最終的に人は自分の足でたって生きていかなければいけない、その力を蓄えなければいけない。心配して世話をやいている間はその力は養われない。そこを刺激しないでなにが優しさなのだろう。

ありがたいことに、私は「自分の力で立ち直る術」をまわりの友人たちのおかげで得ることができた。だからこそ、タフな女でいられるのだと思う。

厳しくする、優しくする。実はそれは優しさじゃない。
優しさとは、相手を受けれて放置すること。判断を任せること、それは相手を信じることとつながる。

本当の優しさ、それは誰にでも見えるものではないのだから。

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