最近の私は、いわゆる物理的な場所が変わるという意味での「旅」をしています。今年に入ってからは、沖縄・軽井沢・クアラルンプール・パリ・ロンドン・チェジュ(韓国)・スリランカ・サンフランシスコに出向きました。一方で妄想や空想といった「旅」っていうのもあります。「赤毛のアン」のアン・シャーリーは、空想好きの娘だったから、もしかしたら後者を沢山楽しんだのかもしれませんね。
みんな時間や空間を自由に行き来することができる。初めての人や食べ物に出会う、過去の歴史や人物と出会う、これから先に起きる出会いにワクワクする、友人の知らない側面に触れてドキドキする。そんな過去と未来を行ったり来たりの日々の中、刺激を得られる”何か”と出会えることは、日常にある大きな宝物以外の何ものでもありません。
そしてそれはきっと日常生活にこそ満ち足りているはずなのに、なかなか人は気付けないもの。仕事が忙しくて「旅行ができない」、「休みがとれない」と嘆くことが先行してしまい、新しい出会いや知識力が満たされる日常に目を向けられない現実もあります。だけどそれって本当はとてももったいないこと。人間というのは発想の切替えと工夫次第で、楽しみが倍増できるものです。
例えば、次の「旅行」を決める時に「どこに行きたいか?」ではなくて「誰に会いたいか?」を基軸にしてみる。景色や歴史ある場所への観光、おいしい食べ物やその土地の買物は、単体でも十分に楽しめるけど、そこに共有(シェア)できる相手がいるともっと楽しい。数年ぶりに出会う相手であっても、会っていなかった時間埋め合う時間をもつことで、かけがえのないものとなる。それはリアルに「会う」という行為が生み出してくれた産物であって、SNSで一方的に共有する「喜び」とか「満足感」とは大きく異なっていて、リア充自慢ではなくリアルな共有がそこにはあるでしょう。
あなたは何をしている人なの?と聞かれたら、こう答えるでしょう。
"Je suis un voyageur"
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