私の人生で間違いなく影響を受けた人といえば、同じBalletスタジオで踊っていたYayoiちゃん(写真左:既に20年くらい前の写真から許してもらおう)。彼女のライフスタイル全てが私にとって憧れで真似したくなる存在だったんだよね〜。
彼女が着ていた服(スペインデザイナー)や鞄(SOHOの新鋭デザイナー)、アクセサリー(イスラエルのデザイナー)といったアイテムを如何に自身にアレンジするセンスとか、Parisで待ち合せしたcafeで巧みにフランス語を話していたりする格好よさとか(結果、フランス語学校に入学した)、親子三代でスリランカにアユールベーダ受けに行った話とか、20歳そこそこの私にとっては、ぜんぜん気張ってもいない彼女の感じが異国な存在でした。いや、そのナチュラルな感じが好きだったのかな〜、今思うと。
そんな彼女がお仕事でこちら(東京)に来るので会おうなんて15年ぶりに連絡くれた。いやーん、ドキドキする。元彼に会うよりも心高鳴る私って、ちょっとヤバイのか?だって...本当に素敵な女性なんだもの。
朝から久しぶりに何を着ていったらいいのかなんて、着せ替え人形状態です。いやーん時間がない、遅刻するぅ〜!!!!!!
(※写真はOpera Garnierを観に行った1990年代後半。Marie-Agnès Gillotがまだプルミエールだった時でした)
上野で開催されている「カラバッジョ展」が人気らしい。今期最後のクラステーマにもなっていたし、今月入ってから特別番組も多いしその影響なのかな。だって、カラバッジョって日本人にとって有名な画家ではなかったもん、気性も荒いし、破天荒だし(苦笑。
私はまだ時間が作れていないんだけど、Mie先生が「Londonで10年前に会って以来の作品に、東京で会えて感慨深かった!」と語っていた"エマオの晩餐 http://pinacotecabrera.org/…/collez…/opere/supper-at-emmaus/ (ミラノ版・上)"が来日しているとのこと。いえーい、私は昨年夏にミラノで会ったぜ、なんて思いつつも当時はLondon版(下)を知らなかったので、改めて向き合ってみたいな〜なんて思ってるところ。
殺人を犯して4年逃亡していた彼の心の変化、観ている人が巻き込まれてしまう抜群の画力。さて...いつ行こうか。
ようやく読み終わった...。実は先月の旅にも持参していったんだけど、結局読み進めることができなかった一冊。
毎日の彼のツイートはすごーく色んなことも感じながらチェッックしているんだけど、なんだか"本"として目にするとちょっと自分の中のものと差がでていたのかな〜。妙に時間がかかっちゃった。
言葉って面白い。自分とのタイミングがちょっと違うだけで、単に目の前を通り過ぎる「音」になってしまう。一方で自分と重なった時に与えられるもの、それは莫大過ぎて、一生忘れることができない「意味ある」存在になったりする。辻さんが書かれた小説の中での言葉も、実は私と通りすぎることなく留まっているものもいっぱい。だからこそ、今回のこの本の言葉が不思議とそこに「いる」感じがしなくってビックリしてしまった。これって一体なんなんだろう。
今だに私が感じていることだけど、手書きしている言葉とメールして打ち込んでいる言葉って差異がある。辻さんがどうやって小説を書かれているのかわからないけど、もしかしたらこの違和感ってそこの差なのかな?毎日流れていく文字を紙に変換した作品。
言葉ってやっぱり面白いね。
まただよ...なんて思いつつ、ここまでくると気になる。
あああ、やーね。また振り回すつもりかよ、いやそこにのっかる自分もいやだ。
絶対連絡しないもん。
1700年代後半に活躍したスペイン宮廷画家"ゴヤ"話から、彼の何に対しても"ひよらない"スタイルは、現代でいえば"アイ・ウェイウェイ(http://www.aww-ayamaranai.com/)"なんじゃないか、なんて話の展開を遂げた本日の会談。
権力に抗うイメージが強いゴヤ。どこまでもグロテスクな程に真実味(リアリティ)を追求したゴヤ。有名な黒い絵の一つとして描かれた「我が子を食らうサトゥルヌス」なんて、現在観ることができる状態からですら恐ろしさでいっぱいになるけれど、実は制作当時はサトゥルヌスの男性器が勃起した状態で描かれていたことがその後のXレイ調査で判明していることは有名です。我が子を喰らうくらいの精神状態だったサトゥルヌスの興奮度合いを表現したかったのかもしれません。誰にも見せるつもりではなかったというこれら作品群、なんでしょう...私は女性ではありますが、それがなによりも真実というかリアリティであるような気もします(神話の世界だけどね)。
最終的には対政治問題から身の危険を感じて、ボルドーへと亡命したゴヤ。最後の最後に描かれた"ミルク売りの女"に初めて彼の安らぎを感じることができます。勝手ながらに救われる気がしてちょっと嬉しくなるな...。
リアリティを伝えることは、実はなによりも危険なことかもしれない。本人もわかっていたとは思うけど、そこを避けることができない、そんな不器用であり正直な人だったのでしょう。
そして現在の"ゴヤ"ともいえるアイ・ウェイウェイがまたも昨今ニュースになっていました。彼にとっての安らぎの場所と表現ってどこなんでしょうか。同じ時代に生きているが故、しっかり見届けたいと思います。
先日の旅の途中で観た映画を2本。海外エアラインだったので色々なセレクションがありましたが、やっぱりぼけ〜っと観ていられる邦画をチョイス(機内ではせめて英語はさけておきたい)。どちらも頭空っぽにしながらみれた娯楽でもあったので十分楽しむことができました。
まずは「エイプリールフールズ」。ちょうど数日後がエイプリールフールだったから、地上波でもやってましたね。色んな人がどんどん出てきて、ちょっぴりつながっていたりもするドタバタコメディ。まったくをもって感情移入するわけもない両極にある映画ですが、十分楽しめました。ま〜、お金払ってこれみたら怒りたくなっただろうけどね(苦笑。どうやらテレビドラマの「リーガルハイ」のスタッフが作った作品ということを後で知って納得。確かにそういう路線だね、これは。
二本目はドラマ「アンフェア」の完結編。昨年すごーくこれ番宣やっていたよな〜って思い返しつつ、ドラマ自体のどんでん返し具合が好きだったので迷わずチョイス。がしかし、ぼけ〜っと観ていたらついていけなくなって2回観ちゃった(苦笑)。裏の裏ってことはよくわかるけど、「うーん、それって本当にするのかしら?」とか「ああ、なんだかんだいって味方なのね〜」とか色々思ったりもするけれど、篠原涼子がたまらなく美しくって無駄にキレイだから(笑)許してやろうか、と。ちゅうか、篠原さんってどんどん美しくなるよね〜、理想だわ〜。
機内での映画チョイスは意外と重要で、うつらうつら休みながら観れるくらいのものっていいかもしれないって思う。しかし250種類の選択枠があるチャネルって意外とワクワクしたな。また次回に期待しよう。
アート表現には国民気質というものが不思議と表れると思う。イタリア人はやっぱり俺ってすごいだろ的な声が聞こえてきそうなムキムキイケメンを描くし、愛の国フランス人は肌がほんのりピンクがかった可愛らしくロリがはいった女性を、闘いの国スペインは暗黒の世界が印象的なドラマチックな世界を描く。
さて、北方系つまりネーデルランドやベルギーといった人たちは?広くもない空間にぶわ〜っと沢山の人を描く、そんな傾向があるのが北方系の一つの特徴。でもどうしてそんなことするんだろ?
Bruegel(父)の作品の一つであるこの絵のタイトルは「子供の遊戯」。誰が数えたのでしょう、90の遊びと230人の子供が描かれているそうです。でもこの子たち、本当に子供なんでしょうか?顔はみんな大人に見えませんか?でもって遊びのひとつひとつもみてみると、なんだか意味深いものがあったりアラレちゃんの"つんつん"的なものもあったり。うーん、これまたなんでこんなテーマ描いたんだろ?言いたかないけど、これが描かれた時代(1550年)って、ミケランジェロは宗教改革のタイミングの最中、教皇に依頼される宗教画に苦悩していた時期。一方で北で子供の遊びってね〜(苦笑。
ってことで国民気質。昨年訪れたベルリンでも感じたけれど、一筋なわではいかないというか、単純ではないというか、ストレートではないっていうのが彼らの特徴。だからきっとこの中にも込めたメッセージがあるはずです。
同じ遊びを飽きることなくずーっと続けていられるのが子供。だけどそれって本当に子供だけでしょうか。大人の方がだめな遊びに身を投じて抜けきれないことありませんか。だめよ、だめよもなんとやら、実はそこに人間のもろさや愚かさをみることができるのかもしれませんね。美味しいもの食べたいし、シャンパーニュはやめられない、いつまでたっても痩せられない私はその典型です(苦笑。
表現に対して実はとっても骨太だったBruegelが今生きていたら、どんな世界を描くのだろう。彼は何を伝えようとするのだろう。話をしたらきっとめんどくさいおっさんなんだろうけど、私にとって会ってみたい画家の一人です。
Londonから先生が帰国し、お勉強月間開始。一人目は"Botticelli(ボッティチェリ)"、滑り込みで行ったばかりの"彼"です。
今回テーマとして先生が掲げられているように、確かに有名で露出が多い作品は“知っている”と思いがちで、知っている情報や先入観が先立ってしまい、まっさらな気持ちで向き合うことが難しいかもしれません。知識が先行しちゃうっていうのでしょうか。
例えば、門外不出で一度もイタリアから出たことがないこの子もそう。あまりにも有名過ぎて、「何故この作品が有名のか、何がすごいのか」なんてこと考えたこともない。ましてや「何故この作品は"春"という名前がついているのか?」ということもね。
さて思えば、何故にこの作品って「La Primavera(春)」なんでしょう?しかもたまらなく抽象的なタイトル。15世紀のイタリアで描かれた作品は基本的には「聖母子と○○」とか「ダビデ」とか「洗礼者と○○」とか若干説明的なものが多いのに、いきなりこれだけ「春」。ヴィーナスに天使、三美神、ゼフェロスとクロリスが作品内に共存していて、神話を描いていると思っていたけど、言われてみたら、そんなシーンないし、春の話でもない。あれれ?
ってことで、キリスト教のスイッチをONしてみる。不思議とヴィーナスと思われる人の上には半円が見えてくる、あれれもしかしたらこれってマリア?"春"っていえばイースター=復活ってこと?
今まで思い込んでいたことや凝り固まっていた先入観が、ちょっとした言葉によって、まったく違う世界に見えてくる。私たちの日常もそんなことばかりだよね。知るって本当に大切なこと、耳を傾けるってもっと大切なこと。
またも滑り込みで、本日はボッティチェリ回顧展。忘れていたけど、こちら上野は花見シーズンでしたね、激混みでした(笑)。
その生涯のほとんどをフィレンツェで過ごした彼の眼に映っていた世界は、まさにルネサンスな配色で、先週観ていた色彩とは全く別。空気なんだろうか、空なんだろうか、ちょっとだけ黄色みを帯びた赤や緑といった色が眼に入ります。ほんとこういうのイタリア的なんだよな〜。
個人的には、フィリッピーノも亡くなったあたりからのちょっと暗く詩的かつ哲学的な作品が気にいりました。単に明るいだけじゃない部分の表現、人間らしくて嫌いじゃない。
次はフィレンツェの光の下で会いたいな。今年の夏はミラノだけではなくてフィレンツェまで行こうかな。
海外に暮らす"大好きな人に会いに行く"旅をはじめてから一年半。さすがの無鉄砲な私ながら後回しにしてしまったのは人間の弱さで(単なるタイミングもあるけど)、結果として会えたときの感情の揺れとかハンパなかった。お互いに"10年って?"思ってしまう程、心地よい時間。
しかも今回はアクシデント続きで、そもそもの観光チックなことは全て頓挫して、ずーっと一緒にいたからっていうのもあるでしょう。ヤバイくらいの保護者っぷりだったしね(苦笑。
距離感的にはもはや家族な人。うまくいえないけど、本当に心地よくイラつける時間だったんだと思う(苦笑)。そんなすべてが嬉しかったし、これからはまた一緒な時間を過ごせる、いや過ごしたいと思う。
今回はなんだかいつもの旅と違う時間。だけど必然だった旅。またひとつ。
10年ぶりの再会は、やはり今だったと再認識するものでした。
待ち合せ場所に到着した瞬間、会っていなかった10年間がまるでなかったようなくらいの笑顔で抱き上げてもらってくるくるまわって、まるで映画みたい。あああ、この手の中に帰ってきたんだなって(笑)。ま、別に男女の仲ではなかったのだけど、なんだろう...懐かしいというか安心な場所というか、本当近しいお友達というかお兄ちゃんというか。いやはや、うまく言えないけど嬉しかった。
ホテルまでの道のりお互いの近況をぶわ〜っと話をしてキャッチアップしたり、ここでの彼の日常世界を教えてもらったり、昔と変わらずよく話をしたな〜。そして最後は私の至らない点についてがっつり叱られました(苦笑)。そう、彼はいつも私を叱ってくれた。
私はどうしてこの人の手を10年離していたのだろう。あの時、どうして別の手を選んだんだろう。
ホッとできつつ、やっぱり不器用というかワタワタしちゃうけれど、また会えるようになった気がして嬉しくなった。
時間をつくってくれてありがとう。
ある人に言われた。
あなたは究極的ににお人好しだ、と。そういうことしていたらバカをみるよ、と。
自分の人生を振返ると否定はできない。いや、そもそも母には昔から言われていた。いい加減にしろ、と(苦笑。
だけど、どうしても治らない癖みたいなものでこうして生きてきてしまったんだよね。
損しているんだと思う、もっとうまく生きたらいいのだと思う。だけど...できないんだよん、これが。あああ、情けない。
一方で友人たちは言ってくれる。そういうあなたが好きなのだ、と。
最近改めて考えちゃうけど、大切な人たちがそういってくれるのならいいのかな、とも思う。
ああ、単純な私。
だからきっと治らないんだね。
「こんなところで本当に展覧会が開催されているの?」。人間よりも車が多いとさえ感じる倉庫が立ち並ぶ東雲に突如現れたアート空間。なんだろう、外からみる景色とはあまりにも異なる心地よさ、気付けばとても長居していたようです。
アニー・リボヴィッツは数多くの著名人のポートレイトを撮り続けている写真家、今回は彼女が1999年から始めた「Woman」シリーズが公開されています。世界10都市の巡回展の2番めのTokyoながら、既に前回のLondonの時に加えて最新作も公開。本当にいつまでも探究心というか欲求力というか衰えることを知りません。シャッターを切らずにいられない何らかの感情が常に溢れでているのでしょうね。本当にパワフルな人...意志ある人、憧れます。
さて今回の展示ですが、もちろんオリジナルの写真展示はあるものの(かの有名なジョンとヨーコの写真もある)それ以上に興味深いのは、会場中央にあるパイプ椅子が並ぶデジタル空間と奥にある暖炉風の写真集が積み上げられたスペース。私もここでかなりの時間を費やすことに...。昨年ミラノで訪れためちゃデカ写真集シリーズに納められた写真を一枚一枚堪能しながら、あまりの面子に驚愕したらドキドキしたり、今回の展覧会の隠れキーワードであるらしい「対話」の時間をいっぱい過ごしました。本当満足だし堪能って言葉でいっぱいです。

会期は13日までですが、週末もし幸せなことに足を運ぶ時間がある方がいたなら、一人ではなくて二人で是非行ってもらいたいな。「WOMEN:New Portraits」は、写真展でありながらも、対話の場でもあるという空間。そしてさらに言うなら、アニー・リーボヴィッツという人間の心に触れる空間なのだと私は感じました。だからいっぱい感じて欲しいし、味わって欲しい。間違いなく2016年に訪れた展覧会ベスト5に入ると(勝手に)思っています。
「
https://www.ubs.com/micro…/annie-leibovitz/…/exhibition.html
昨夜も豪華な食事会@Hiroko邸。今ではすっかり人間向のお料理談義(苦笑)が出来る佐野くんを招いてのデモな時間はめっちゃ勉強になりました。ここは食メンバーばかりなので、色んな意見や感想がでて本当に面白い。
ってことで、チョッパー仕様のサラダとヌードルメーカーのデモ麺を使って、Hirokoちゃんとゲストシェフが素晴らしいマリアージュを生み出してくれました。やっぱり料理人って凄い、家庭でこの味食べることできるんだもんね。感動。
とろぷる豚足で今朝はお肌がぷるっぷる。今回も本当にごちそう様でした!いつもいつもありがとう。
>Special thanks, 佐野くん。久々ゆっくり話せて楽しかったよ〜、またね!!
雨の日にはブラームスがよく似合う。
久しぶりのPygmalionの主役はチェロ。楽曲はブラームスの"チェロ・ソナタ第1番ホ短調Op.38"が選ばれていました。
チェロが歌い始める第1主題は、穏やかながらもどこか寂しげで、情感のこもった旋律が奏でられます。その後、この主題は変化を加えてピアノに受け継がれ、チェロの方も次第に激しさをましていきながら寄り添っていくメロディはなんとも心地がよいものです(←な〜んてちょっと語ってみたくなる余韻に浸り中...w)。
奏者はまだまだ若手ですが、ブラームス好きだというのがとっても感じられる演奏で素晴らしかったです。若手が活躍するこの企画がこれから継続されることを期待します。
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/
京都とほぼ同時開催となるロベール・ドアノーの写真展。昨夜、銀座で開催されたレセプションにお邪魔してきました。
ドアノー氏の言葉の中で、私にとってとても印象的なものがあります。"僕は自画像しか撮れない"、つまり彼は感情移入した時しかシャッターを押せなかったんだそうです。ひょー、かっこええな〜。昨今のデジタル文化、多くのフォトグラファーも多分にシャッターを切っていることを考えるとこの言葉はとっても重たい。
そんなことを思いながら作品を見ていると、ここに表現されている全てが彼が切りとった彼の自画像=彼の顔なんてことがコネクトしてしまって、妙に色々考えてしまいました。写真の切りとり具合ってその人自身を知るエッセンスに溢れていてやっぱりいい。むふふ
****
この溢れんばかりの豊かさを提供してくれる世界で自分を見失わないために、私が生み出したゲームの規則がユーモアと慎みだ。
それは、超えてはならない境界を私に示してくれる。
-ロベール・ドアノー
”Valentineは毎年手作りchocoを作っています”という方も、それって実は市販チョコを溶かして固めているじゃないでしょうか?
いやいや、それは本気(マジ)なチョコ作りではありません!今年はもう一歩踏み込んで、カカオ豆から手作りチョコレート作ってみましょう〜、なんてテーマで開催させていただきました。
本日昼夜の2部開催でしたが、昼はお子様も来ていただいて楽しい時間に。チョコがどうやって出来ているのか、ちょっとだけお勉強しながらも作業に没頭。楽しんでいただけて嬉しい限りです。こういう子供たちの姿、なんだかいいな。ふふ
また企画しま〜す♪
◆本日のカカオ:インドネシア、タンザニア、トリニダードトバゴ
忘れられない記憶がある、忘れられない人がいる。彼はそういう人。
自分勝手な人で、なんど血を吐きそうな程の喧嘩をしただろう。香港と日本を往復しながら、なんどこれっきりにしようと思ったことだろう。後にも先にもきっとこれだけ縁があって、だけど離れなきゃいけない相性の人っていないのかもしれない。
今回もまた突然現れて、本当自分勝手なことをいってる。呆れてものも言えなくなるけど、きっと彼の中の今は十分本気なんだろうね。あああ、めんどくさい人。
もはや季節ものとしか思えない。きっと春が来るころにはまたどこかいっちゃうんだろうね。
いつもお世話になっている魚屋のお母さん。今日は手作り塩辛をオマケしてくれました(やった〜!)。妹さんが30年前に手編みでプレゼントしてくれたお帽子が寒いこの時期に手離せないのよ、なんてキュートな話です。かわゆし。
毎日必要なものを対面で出来るだけその日に買いたい派な私はめちゃ商店街好き。そんな私にとってお母さんは芝の母でもあり、いつも美味しい食べ方を呆れながら調理法を教えてくれる師匠。だから近くにスーパーはあるけど、私はやっぱりこだわりたい。
お母さん、今年も元気に〝いい加減、魚のことを覚えなさいよ〜〟って叱ってね。私は江戸な魚はわかりませんからっ!!(笑)