年始から始めた聖書のお勉強、本日のテーマは「原罪」。
"旧約聖書において蛇の誘惑により禁じられていた「知恵の木の実」をとって食べるという人祖アダムの罪に由来する"、とwikiさんは説明していますが、要は「アダムとイブの物語」ってことですよね。ま、この罪によって、アダムは労働、イブは産みの痛みを抱くことになったってやつです。
私の場合はあくまでもart視点なので、多くの画家が描いた「アダムとイブ」を観てみましたが、見れば見るほどイラっとします(苦笑)。だって聖書には、
...女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男 にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知 り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした(創世記3)
としか書いてないわけですよ。蛇にそそのかされたのはイブ(女性)っていうのは間違いないけれど、それ以外は特に何も記載はない。でもここから(旧約聖書を経典にもつユダヤやイスラム教発信で)男尊女卑やら"女は罪""女は汚れ"みたいなものが起きているわけですよね。で、それを助長したのがそのこのテーマを描いている画家たちなんだなって改めて...です。
大体ですよ、どこにも蛇は"女"とか書いてないのにこれらの作品に出てくる蛇に胸があったり表情含めて大体が女性っぽいんですよ。しかもイブの表情は大抵悪びてないし(ティントレットの作品では誘惑しているような笑みすら浮かべている)。もう一度言いますよ、一緒にいたアダムに渡したとは書いているけど無理強いしたとか書いてないですよね。
加えて、アダムの描き方ですわ。イブの行動に仰け反ってる気の小さい感じとか、参ったなー的な吹き出しを入れたくなるような(こら、クラナハ親子!!)表現とか、「俺は理性があるけど、イブがいうからさー」みたいな感じ?ねー、どこにそんなこと聖書に書いてる?
そういう中ではちょっと興味深い誰もがご存知ミケランジェロが描くアダム、自分から禁断の果実を取りにいっている姿とか面白い。女性に興味がなかった...と言われる彼だからなのかなんなのか。どういう思いでこう描いたのでしょうか、しかもカソリックの本拠バチカンで!!!
学び始めて改めて思う、宗教理解って本当に大切な気がします。欧州文化の30%以上を占めている(旧約を含めたら70%)宗教の背景って、間違いなく日々の考えとかに浸透しているって思うのだよね。だからね。私は別に強烈なフェミニストではないけれど。あくまでも勝手な男性優位に導く発想はやめようよ、とは言いたい。女流画家がこの時代いなくて宗教が広まったからなのかもしれないけど、そんなにイブ悪いことしてないと思うぞ。ぶぶぶ