Tuesday, November 28, 2006
Japanese instructor(日本語教師)
大学時代、日本語教師になるための勉強をしたことがある。 大学の講義が終わった後に、社会人の人たちが集まる学校へ夜通う。そんな時間を1年過ごした。
動機はすごく単純。私は「教師」志望で、大学でも教職課程をとっていた。しかし度重なる転校で受け入れ先が見つからず(自分→姉→母→父という順路で母校を辿ったのだけど・・・)、結局「教職実習浪人」しないと受け入れることができない(つまり働かずに翌年まで持ち越し)という現実を目の前に、丸3日考え抜いた結果、「浪人はできない」という思いから断念した直後だったのだ(まぁ、今思うと一年くらいなんて思うけど、学生時代の私にとっては「ありえない」話で、卒業後はすぐに社会にでないといけないと思っていたことに起因するのだけど。まぁ、根が真面目で固いのさ、がはは)。とはいうものの何らかの形で、やはり「教師」になりたいと思って悶々としていた時、ふと見つけたのが「日本語教師」という仕事だった。
さて学校の話。その時のクラスメートは、リタイアした50代のおじさんやOLさんが多かった。彼らと一緒に学ぶ授業は普段気にしない「助詞」の使い方や、文語的表現、五十音の組み立てを習ったりで、まだまだ若僧の私にとってとても刺激的であり、かつ彼らと過ごす時間はとても興味深かった。まだまだ学生の私にとっては、未知の体験の話ばかり。同年代の人よりは本を読むものの、当然ながらクラスメートの彼らが接してきた日本語量とは雲泥差。「そんな日本語あるんですか???」という疑問やら、三島由紀夫の表現の美しさ(古典だと思っていた!)なんて、当時の私には理解不能だったにも関わらず、根っからの負けず嫌い。わかるフリをしながら授業の後にこっそり本屋で購入して読みあさっていた。今思うと、すごくいい訓練期間だったように思うのは、楽天的すぎかしら?
と、なにゆえそんなことを言いただしたかと言えば。
今朝、いつも通っている病院の先生と「日本語の消滅」についての話になった。そもそもは「今日はあまり病院が混んでいない」という話だったのだけれど、そこで先生が「『柿が赤くなると同時に、医者は青くなる』と昔は言ったもんだよ」と言われ、そこから「そういや最近『渋い柿』ってないねぇ」という話に発展し、二人で「(柿が)渋い」という日本語表現ってきっと今はあまり使わないし、あと10年もするとなくなっちゃうんだろうねーなんて話をしていたことがきっかけ。確かに当時、そんな講義もあったなぁなんて、ぶぁーっと蘇ってきたのだ。
結局、年齢制限もあって卒業後に日本語教師になることはなかったけれど、あの時学んだ一年は私にとってすごく有意義な時間となったように思う。そうして一講義の記憶が、こうして蘇ってくることがすごく愉快な気もする。そんなことを思いつつ、昔から私はこんなことを面白がるんだと今更ながら気がついた。
Monday, November 27, 2006
Samurai(武士)
先週出会ったある女性に、「あなたはまるで武士のようね」と言われてしまった。まぁ、悪い意味ではないことはよくわかるし、ちょっとその指摘に笑ってしまった私。彼女に言わせると、率直で論理的でありながらも、しきたりを大事にし、古い価値観をしっかり守っている人間であるように感じるのだという。自分ではわからないけど、実はなんとなくその表現が気に入ってしまった。なんだか凛として素敵な人って感じじゃない?
確かに私は、どちらかといえば古い人間だと思う。あまりそうは見えないらしいが(はっきり物事を言ってしまうので)、上の人に対する敬意ははらうべきだと思っている一方で、新しいものは取り入れていくべきだとは思っている。とはいうもののベースとしての伝統は大切にするべきだとも思っていることは確かだ。。いわゆる古き良き日の日本人らしさというのは、私にとってはとても美しいと感じるもののひとつであるし。
まぁ、いろいろ思うところはあるものの。。。
出会ったその瞬間に、何かを感じる人というのはいると思う。多くの人に会っているはずなのに、何かを感じたりわかちあえる瞬間をもてる相手は本当に貴重なもの。今回の出会いもそのひとつなのだと信じたいなぁ。
確かに私は、どちらかといえば古い人間だと思う。あまりそうは見えないらしいが(はっきり物事を言ってしまうので)、上の人に対する敬意ははらうべきだと思っている一方で、新しいものは取り入れていくべきだとは思っている。とはいうもののベースとしての伝統は大切にするべきだとも思っていることは確かだ。。いわゆる古き良き日の日本人らしさというのは、私にとってはとても美しいと感じるもののひとつであるし。
まぁ、いろいろ思うところはあるものの。。。
出会ったその瞬間に、何かを感じる人というのはいると思う。多くの人に会っているはずなのに、何かを感じたりわかちあえる瞬間をもてる相手は本当に貴重なもの。今回の出会いもそのひとつなのだと信じたいなぁ。
Sunday, November 26, 2006
無敵のマーケティング 最強の戦略
この本の著者ジャック・トラウト氏はアメリカ屈指のマーケティング会社、トラウト&パトナーズ社の社長。いわずとしれた世界13ヵ国で事業展開するマーケティング業界の第一人者である。マーケに携わったことがある人であれが一度は聞いたことがある名前に違いないだろう。彼の有名な著書といえば「マーケティング22の法則」、私もこの仕事を始めるとき、取引先のAGの先輩に薦められて読破した一冊だったりする。
『成功するのに何より必要なのは、優れた戦略だ。戦略があれば、どの市場に参入し、何を作り、社内外に何をどう伝えるかが決まり、何を重視すべきかがわかっ てくるからだ。だからこそ、「戦略とは何か」を理解することが重要だ。戦略についての理解が深まれば、成功するための適切な戦略を選択できるようになる。 さらに、大きな危機を避ける方法についての理解が深まれば、競走が激化するこの時代を生き抜くことができるはずである』、彼は語る。
さてここでいる戦略とは何か。私がベースとしてきた仕事は「戦術」のパートだったので、戦略をうけた上で、最善のものを作り出すというのが主たる業務だった。がしかし昨今「戦略あっての戦術」だったのが、「戦術があっての戦略」なんてことも多分に起きはじめ、いわゆるボトムアップ型マーケティングなんて呼ばれるものも始まっている(しかし、この業界は何についても名前がついている、覚えられない・・・涙)。具体的なことやシンプルなことは、誰にとってもわかりやすい。だからこそ、まずはそこで何が求められているかをしっかりと考えつかんだ上で、戦略に持っていく方がアプローチとしてぶれはないのでは、というのが狙い。実際、企業内でそれをGOという上長はなかなかいないけれど、なんとなく今後は、そこが主流になりそうな気もする。なんといっても、プロフェッショナルが歓迎される時代なのだから。
とうことで、この一冊。 マーケティングに携わっていくにあたっての原則・鉄則が記載されているので、頭の中を整理するのに非常に役にたつことはお墨付き。一読あれ。
CREA(クレア)
実は私は、雑誌オタクでもあったりする。雑誌に限らず、毎月かなりの冊数を読む私を母は「二宮金子(にのみやきんこ)」と子供の頃から呼んでいた。確かに学校の行き帰り、ランドセルを背負ったまま本を読んで歩く姿は、あの銅像と重なるのかもしれないと今更ながらに思いつつも、やっぱりちょっとカワイクないネーミングよねぇ(ちなみに、一応補足すると、私はあんなに勉強家だったわけではない)。
さて公私ともに、様々な雑誌を読み続けた私の中で、「これは面白い雑誌だわっ!」と一番記憶に残っているのが創刊当時の「CREA(クレア)」。1989年に文藝春秋さんから、従来の女性誌のパターンとイメージを超えた斬新な切り口が売りの雑誌として創刊されたこの雑誌の名前の由来はCREATION(創造)だったと記憶している。さすが「創造」と名付けられた雑誌なだけあって、今思い返しても別の意味で「想像」を絶する(!?)企画や特集が盛りだくさんで、毎回次は何がくるのだろうとワクワクしたもの。ある意味「こんな雑誌、発行していいのかしら?」なんて、学生時代の私は思っていた。だけど、そんなむちゃくちゃ加減がとっても面白かったなぁ。
例えば、1990年代の特集はこんな感じ。「ピルの自由化」「男を捨てよう」「ニュース大好き・東欧・ソ連国際情勢篇」「会社に言いたい」「結婚を求めるゲイパワー」「戦争がいっぱい」「橋本龍太郎 わが女性問題と消費税」「宗教大特集」etc...
ヌード特集では、男性モデルがひたすら裸・裸・裸になるし(これがうまいこと見えないのよ、ちっ)、レズビアンの特集では人工授精とかかなり突っ込んだ取材をしているし、中東問題ではあのフセイン大統領のことやアラブ社会のことをしっかり伝えている。今読み返すと、これがまた面白かったり興味深かったり。ある意味、すごく編集サイドが自由に創っているんだろうなって思える内容。
今の雑誌は、そこそこ売れるようにしっかりマーケティング戦略にのっとって創られているから、発行部数もそれなりながらあまり個性がなかったりすることも多いのが事実。先日、某誌元編集長と話をしたときにも「広告がとりやすい雑誌にして」と言われていて、すごくストレスだったなんて話もしていたっけ。そんなことを思って、改めてこの時代のCREAをみると、やっぱりとっても自由。この時代は編集人が好きなように自分の色を付けることができたんだろうね。残念だけど、今この雑誌ですらここまで尖った特集やら企画やらやらないしね。
私はマーケティングや広告の世界にいるので、なんとも微妙なところではあるものの、編集人にはやっぱり自由でいて欲しいし、楽しませてもらいたいなぁなんて思うなぁ。
がんばれ、雑誌業界!!
Thursday, November 23, 2006
love marks(愛着)
昨年出会った記憶に残る本のひとつに"love marks"という本がある。簡単にいってしまえば、ブランディングという考え方の次にくるものが、"love marks(愛着)"という考え方ではないか、という話。ある意味うなづけるところもあるけど、まだまだ実務レベルにおいてはそこの域に達していないってのが個人的感想。
とはいえ、「ブランド」という記号だけでなかなか人は動かなっているということくらいは、既に話題にのぼりつつある。一時、ブランド論なんてものがすごく流行ったけれど、私たちの生活の中にはあらゆるブランド溢れかえりすぎて、そのひとつひとつに認識することすらできていないし、ましてやそこに意味やストーリーが見いだせなくなっていることは紛れもない事実だろう。ある調査によると、一日に35000個ものブランドに私たちは接しているんだとか。それに引き換え、人間の記憶に残るのは、一カテゴリで7つまでなんだそうだ(だから、世界不思議は7つだとか、白雪姫の小人は7人だとか嘘か本当かわからない説話もある)。ということは、どんなに自分たちのブランドの良さを訴えたところで、そのほとんどは記憶に残りもしないということ。ああ、なんと虚しいことか。
そんなことを思いつつ、何度となくこの本を開いてしまう私。決してすぐそこに回答があるかえでもないけれど、次のステップへのキーワードが埋まっているはず。なにはともあれ、私にとってはすでに「愛着ある作品」なんだろうな。
Wednesday, November 22, 2006
What are communications?
Google Earthの開発者であるMichael T.Jones氏は、某雑誌のインタビューでこう語りました。
「コミュニケーションとは”理解”です。理解すること、させること。それはすべてのコミュニケーションが目指すゴールの一つでしょう。言葉や文字、仕草や身なりに始まって、新聞、雑誌、テレビにラジオにインターネット、看板、地図、メニュー表、料金表、企画書や見積書にいたるまで、それらはすべて「情報」ですが、結果として相手の”理解”がなければ、情報には価値は、ありません・・・」
自他ともに認めるコミュニケーション・オタクな私。人と出会い、関わりをもっていく喜びやそこから生まれる感動は、これまでも語り尽くせないものがありました。ブログというツールを使って、今度はどんな出会いをし、その人たちとどんな理解を深め合うことができるでしょう?
すべては、ここから始まります。
私の新しい友人であるMacBookと一緒に。この新しい出会いを記念して。
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