Tuesday, April 26, 2016

Les personnes affectées(影響を受けた人)

私の人生で間違いなく影響を受けた人といえば、同じBalletスタジオで踊っていたYayoiちゃん(写真左:既に20年くらい前の写真から許してもらおう)。彼女のライフスタイル全てが私にとって憧れで真似したくなる存在だったんだよね〜。
彼女が着ていた服(スペインデザイナー)や鞄(SOHOの新鋭デザイナー)、アクセサリー(イスラエルのデザイナー)といったアイテムを如何に自身にアレンジするセンスとか、Parisで待ち合せしたcafeで巧みにフランス語を話していたりする格好よさとか(結果、フランス語学校に入学した)、親子三代でスリランカにアユールベーダ受けに行った話とか、20歳そこそこの私にとっては、ぜんぜん気張ってもいない彼女の感じが異国な存在でした。いや、そのナチュラルな感じが好きだったのかな〜、今思うと。

そんな彼女がお仕事でこちら(東京)に来るので会おうなんて15年ぶりに連絡くれた。いやーん、ドキドキする。元彼に会うよりも心高鳴る私って、ちょっとヤバイのか?だって...本当に素敵な女性なんだもの。

朝から久しぶりに何を着ていったらいいのかなんて、着せ替え人形状態です。いやーん時間がない、遅刻するぅ〜!!!!!!
(※写真はOpera Garnierを観に行った1990年代後半。Marie-Agnès Gillotがまだプルミエールだった時でした)

Friday, April 22, 2016

Réunion avec Caravaggio!?


上野で開催されている「カラバッジョ展」が人気らしい。今期最後のクラステーマにもなっていたし、今月入ってから特別番組も多いしその影響なのかな。だって、カラバッジョって日本人にとって有名な画家ではなかったもん、気性も荒いし、破天荒だし(苦笑。

私はまだ時間が作れていないんだけど、Mie先生が「Londonで10年前に会って以来の作品に、東京で会えて感慨深かった!」と語っていた"エマオの晩餐 http://pinacotecabrera.org/…/collez…/opere/supper-at-emmaus/ (ミラノ版・上)"が来日しているとのこと。いえーい、私は昨年夏にミラノで会ったぜ、なんて思いつつも当時はLondon版(下)を知らなかったので、改めて向き合ってみたいな〜なんて思ってるところ。

殺人を犯して4年逃亡していた彼の心の変化、観ている人が巻き込まれてしまう抜群の画力。さて...いつ行こうか。

Thursday, April 21, 2016

「息子に贈ることば 」(辻仁成 著)

ようやく読み終わった...。実は先月の旅にも持参していったんだけど、結局読み進めることができなかった一冊。

毎日の彼のツイートはすごーく色んなことも感じながらチェッックしているんだけど、なんだか"本"として目にするとちょっと自分の中のものと差がでていたのかな〜。妙に時間がかかっちゃった。

言葉って面白い。自分とのタイミングがちょっと違うだけで、単に目の前を通り過ぎる「音」になってしまう。一方で自分と重なった時に与えられるもの、それは莫大過ぎて、一生忘れることができない「意味ある」存在になったりする。辻さんが書かれた小説の中での言葉も、実は私と通りすぎることなく留まっているものもいっぱい。だからこそ、今回のこの本の言葉が不思議とそこに「いる」感じがしなくってビックリしてしまった。これって一体なんなんだろう。

今だに私が感じていることだけど、手書きしている言葉とメールして打ち込んでいる言葉って差異がある。辻さんがどうやって小説を書かれているのかわからないけど、もしかしたらこの違和感ってそこの差なのかな?毎日流れていく文字を紙に変換した作品。

言葉ってやっぱり面白いね。

Wednesday, April 20, 2016

メール&電話&ソーシャルメッセ

まただよ...なんて思いつつ、ここまでくると気になる。
あああ、やーね。また振り回すつもりかよ、いやそこにのっかる自分もいやだ。

絶対連絡しないもん。

Saturday, April 16, 2016

現代のゴヤ?

1700年代後半に活躍したスペイン宮廷画家"ゴヤ"話から、彼の何に対しても"ひよらない"スタイルは、現代でいえば"アイ・ウェイウェイ(http://www.aww-ayamaranai.com/)"なんじゃないか、なんて話の展開を遂げた本日の会談。

権力に抗うイメージが強いゴヤ。どこまでもグロテスクな程に真実味(リアリティ)を追求したゴヤ。有名な黒い絵の一つとして描かれた「我が子を食らうサトゥルヌス」なんて、現在観ることができる状態からですら恐ろしさでいっぱいになるけれど、実は制作当時はサトゥルヌスの男性器が勃起した状態で描かれていたことがその後のXレイ調査で判明していることは有名です。我が子を喰らうくらいの精神状態だったサトゥルヌスの興奮度合いを表現したかったのかもしれません。誰にも見せるつもりではなかったというこれら作品群、なんでしょう...私は女性ではありますが、それがなによりも真実というかリアリティであるような気もします(神話の世界だけどね)。

最終的には対政治問題から身の危険を感じて、ボルドーへと亡命したゴヤ。最後の最後に描かれた"ミルク売りの女"に初めて彼の安らぎを感じることができます。勝手ながらに救われる気がしてちょっと嬉しくなるな...。

リアリティを伝えることは、実はなによりも危険なことかもしれない。本人もわかっていたとは思うけど、そこを避けることができない、そんな不器用であり正直な人だったのでしょう。

そして現在の"ゴヤ"ともいえるアイ・ウェイウェイがまたも昨今ニュースになっていました。彼にとっての安らぎの場所と表現ってどこなんでしょうか。同じ時代に生きているが故、しっかり見届けたいと思います。

Monday, April 04, 2016

機内映画;「エイプリールフールズ」(2015日)・「アンフェア the end」(2015日)

先日の旅の途中で観た映画を2本。海外エアラインだったので色々なセレクションがありましたが、やっぱりぼけ〜っと観ていられる邦画をチョイス(機内ではせめて英語はさけておきたい)。どちらも頭空っぽにしながらみれた娯楽でもあったので十分楽しむことができました。

まずは「エイプリールフールズ」。ちょうど数日後がエイプリールフールだったから、地上波でもやってましたね。色んな人がどんどん出てきて、ちょっぴりつながっていたりもするドタバタコメディ。まったくをもって感情移入するわけもない両極にある映画ですが、十分楽しめました。ま〜、お金払ってこれみたら怒りたくなっただろうけどね(苦笑。どうやらテレビドラマの「リーガルハイ」のスタッフが作った作品ということを後で知って納得。確かにそういう路線だね、これは。

二本目はドラマ「アンフェア」の完結編。昨年すごーくこれ番宣やっていたよな〜って思い返しつつ、ドラマ自体のどんでん返し具合が好きだったので迷わずチョイス。がしかし、ぼけ〜っと観ていたらついていけなくなって2回観ちゃった(苦笑)。裏の裏ってことはよくわかるけど、「うーん、それって本当にするのかしら?」とか「ああ、なんだかんだいって味方なのね〜」とか色々思ったりもするけれど、篠原涼子がたまらなく美しくって無駄にキレイだから(笑)許してやろうか、と。ちゅうか、篠原さんってどんどん美しくなるよね〜、理想だわ〜。

機内での映画チョイスは意外と重要で、うつらうつら休みながら観れるくらいのものっていいかもしれないって思う。しかし250種類の選択枠があるチャネルって意外とワクワクしたな。また次回に期待しよう。

Sunday, April 03, 2016

Children's Games(子供の遊戯)

アート表現には国民気質というものが不思議と表れると思う。イタリア人はやっぱり俺ってすごいだろ的な声が聞こえてきそうなムキムキイケメンを描くし、愛の国フランス人は肌がほんのりピンクがかった可愛らしくロリがはいった女性を、闘いの国スペインは暗黒の世界が印象的なドラマチックな世界を描く。

さて、北方系つまりネーデルランドやベルギーといった人たちは?広くもない空間にぶわ〜っと沢山の人を描く、そんな傾向があるのが北方系の一つの特徴。でもどうしてそんなことするんだろ?

Bruegel(父)の作品の一つであるこの絵のタイトルは「子供の遊戯」。誰が数えたのでしょう、90の遊びと230人の子供が描かれているそうです。でもこの子たち、本当に子供なんでしょうか?顔はみんな大人に見えませんか?でもって遊びのひとつひとつもみてみると、なんだか意味深いものがあったりアラレちゃんの"つんつん"的なものもあったり。うーん、これまたなんでこんなテーマ描いたんだろ?言いたかないけど、これが描かれた時代(1550年)って、ミケランジェロは宗教改革のタイミングの最中、教皇に依頼される宗教画に苦悩していた時期。一方で北で子供の遊びってね〜(苦笑。

ってことで国民気質。昨年訪れたベルリンでも感じたけれど、一筋なわではいかないというか、単純ではないというか、ストレートではないっていうのが彼らの特徴。だからきっとこの中にも込めたメッセージがあるはずです。

同じ遊びを飽きることなくずーっと続けていられるのが子供。だけどそれって本当に子供だけでしょうか。大人の方がだめな遊びに身を投じて抜けきれないことありませんか。だめよ、だめよもなんとやら、実はそこに人間のもろさや愚かさをみることができるのかもしれませんね。美味しいもの食べたいし、シャンパーニュはやめられない、いつまでたっても痩せられない私はその典型です(苦笑。

表現に対して実はとっても骨太だったBruegelが今生きていたら、どんな世界を描くのだろう。彼は何を伝えようとするのだろう。話をしたらきっとめんどくさいおっさんなんだろうけど、私にとって会ってみたい画家の一人です。

Friday, April 01, 2016

La Primavera(春)

Londonから先生が帰国し、お勉強月間開始。一人目は"Botticelli(ボッティチェリ)"、滑り込みで行ったばかりの"彼"です。

今回テーマとして先生が掲げられているように、確かに有名で露出が多い作品は“知っている”と思いがちで、知っている情報や先入観が先立ってしまい、まっさらな気持ちで向き合うことが難しいかもしれません。知識が先行しちゃうっていうのでしょうか。

例えば、門外不出で一度もイタリアから出たことがないこの子もそう。あまりにも有名過ぎて、「何故この作品が有名のか、何がすごいのか」なんてこと考えたこともない。ましてや「何故この作品は"春"という名前がついているのか?」ということもね。

さて思えば、何故にこの作品って「La Primavera(春)」なんでしょう?しかもたまらなく抽象的なタイトル。15世紀のイタリアで描かれた作品は基本的には「聖母子と○○」とか「ダビデ」とか「洗礼者と○○」とか若干説明的なものが多いのに、いきなりこれだけ「春」。ヴィーナスに天使、三美神、ゼフェロスとクロリスが作品内に共存していて、神話を描いていると思っていたけど、言われてみたら、そんなシーンないし、春の話でもない。あれれ?

ってことで、キリスト教のスイッチをONしてみる。不思議とヴィーナスと思われる人の上には半円が見えてくる、あれれもしかしたらこれってマリア?"春"っていえばイースター=復活ってこと?

今まで思い込んでいたことや凝り固まっていた先入観が、ちょっとした言葉によって、まったく違う世界に見えてくる。私たちの日常もそんなことばかりだよね。知るって本当に大切なこと、耳を傾けるってもっと大切なこと。