Sunday, November 30, 2008

成功しちゃう「人脈」はじつは公私混同ばかり

いつ取材されたっけ?」と、ついつい考えてしまう程、私のことを書いている本でした(笑)。

まだ若かりし頃、上司たちが自分のこれまでの知り合いとか友達とかに仕事を発注している姿を横目でみつつ、「なんかへんなの。フェアじゃない!」なんて鼻息荒く思っていました。あれから10年。今の私はまさに公私混同な関係で仕事しています(爆)。

でもね、当時の上司たちと違うと自分が言えるのは、そこに「甘え」とか「妥協」がないこと。逆に友人でもありプロ同士だからこそ、信用してしっかりと仕事ができる関係だなぁ~って思えるのです。

本書にも書いてあるけど、「なんか好きじゃないなぁ~」って相手との仕事はどんなに頑張ろうが、感情をなくして仕事に特化しようが、楽しくないし達成感が70%くらい。不合格こそしないけど、合格って気にもならないソコソコな仕事になってしまいます。それはやっぱり成功とはいえないなぁと思っちゃう(自分が楽しめないと、お客さんも楽しめない)から、やっぱり楽しい相手と仕事したくなってしまう。

仕事上、本当にたくさんの方とお会いするし、色んな形で多くの人とご一緒するけれど、結局助け・助けられる関係まで発展した相手とは、お互いの環境が変わろうがなんだろうがずっと傍にいてくれている人として、私に影となり光となり力を与えてくれる人として、説明できない安心感に包まれている気がする。そんな相手に一年に一人でも出会うことができたら、それはすごくハッピーなことなんだろうなぁ・・・なんて思う昨今。

元来ワガママな性格なので、どんなに大人になれといわれてもなれない自分がいて・・・でも、それでいいやって思える自分もいて。

てことで、今後も公私混同で、人間関係構築しようって言い訳できるいい本みつけました(^^)Y

Saturday, November 29, 2008

ambiance(アンビアンス)

イケメンシェフのいる中目黒の隠れフレンチに行ってきました。













今回は6800円のコースをいただきましたが、めちゃめちゃおなかいっぱい。けっこうボリューム多めです。

最初、ベルギーフレンチと言われたので、「どんな料理なのかしら?」と思いましたが、シェフがベルギーで修行をされたこととベルギービールが合う料理をだしていること、プラスお野菜にこだわっているといった料理内容でした。野菜不足になりがちな私の食生活だから、けっこう嬉しい♪(というか、師走はさらに悪化しそうだ・・・)

個人的には、2品めの「オイスターと海洋深層水とリコッタチーズのジュレ」にやられました。オイスターがふっくりしていてミルキーでサイコー!(厚岸産でした)。あと、アミューズのターメリックとかぼちゃのポタージュも美味しかったなぁ。
食音痴の私ながら、また行きたいお店が一件できました♪
■ambiance(アンビアンス)
〒153-0043東京都目黒区東山1-21-26Q.G.HIGASHIYAMA B1F
TEL/FAX03-3712-3445
http://www.lart-de-la-table.com/ambiance/contents/

風をよむ

DOGトレーナーとお仕事をしているとなにげに思うのは、多くのトレーナーたちは留学している(海外でお勉強してきている)ので、すっぽりと「平成」前半の日本がぬけていること。なので、会話の端々に「昭和」ネタがでてきたり、カラオケ行くと「阿久悠しばり」で盛り上がったり。自分も同じような年齢(±5歳くらい)ってこともあって、懐かしい反面、妙にホッとしたりもします。w

てことで、前回同様「昭和本」シリーズ・第2弾。これもやっぱり昭和代表の王子(笑)から借りてきた一冊。

この本はどうやら92年10月から93年3月までの半年間、「スポーツニッポン」紙上に掲載した「阿久悠の実録テレビ三国志」という連載をまとめたものらしい。前半が「スター誕生」秘話で、森昌子、桜田淳子、山口百恵の中三トリオの誕生そしてピンクレディで終焉を迎えるまでの話が書いてありました。「スター誕生」に関わっていた阿久さんならではの見解も加わっているので、読み物としてもカラクリめいたことを知るにも面白い。で、後半はグループサウンズ、特にザ・スパイダーズの誕生秘話がメイン。逆にこちらは、私のもうちょっと上の世代なので、あんまりピンこないというか、懐かしさも感じない話ばかり。結構読み飛ばしちゃった(笑)。

阿久悠という作詞家が亡くなったのは2007年。亡くなってから初めて知った名前だったけれど、彼の残した作品のバラエティの広さにとても驚いたなぁ・・・。そして、ほんのちょっとだけ(一歩前よりも近いくらい)新しい感じが当時、一世風靡したのだろうと思ったり。その時代の風をよむのがうまかったのだろうね。

文庫の最後の解説に気になる一節(以下抜粋)。

「・・・阿久さんはしきりに、近ごろ、日本人の歩幅が広くなりすぎている、と指摘していた。大股で歩むうち、いつしか気付かずに踏み越えてしまった大切なものが、私たちの背後にあるのではないか、と。・・・・」

私自身、スピードある毎日の中でガンガン前だけみて歩いていて、大雑把にものごとをみているのかもしれない、と人間として本質的な部分を突かれた気がしました。海外に旅にでると、時間がゆっくり流れ風の動きや匂いを感じることができるけど、そういえば日本にいる間、仕事に追われ日々に追われ、何も感じないのが当たり前だと思っていたなぁと。きっとすっごく心の中も大股で歩いているんだろうなぁ・・・。いかんいかん。

何を私は急いでいる?一日はどう過ごしてもみんなに平等に24時間。ゆっくりモノを感じて生きていかなきゃ、つまらないかもね。

Thursday, November 27, 2008

「タイアップの歌謡史」

つい最近の小室さんの逮捕もあって、音楽著作権のことがちょっと話題になっています。だからということでもないのだけど、毎度ながらの「王子文庫」から、タイアップ楽曲に関する本を借りてきました。

広告業界に身をおいていると、「楽曲タイアップ」という話は特にTVCFにおいてよくでる話ながら(最近ではイベントででた話)、なにげにこういうカラクリや背景があったのかぁ・・・と今更ながらに知ることができて勉強になりました。また日本の歌謡曲というジャンルについても、あらためて歴史的なこと含めて興味深かったかも。

ちょうど先日、王子邸にお邪魔して、めちゃめちゃ昭和なDVDとかを見せてもらっていた流れで借りたこの本。日本テレビの番組『スター誕生』の誕生の理由が日テレvs.渡辺プロだったとか、松田聖子のデビュー秘話とかもちりばめられていて面白く読めたかな。そうしてもともと苦手な音楽業界のこと・・・私が今属している「動物業界」以上にどろくさーい話にまみれているなぁと実感。ううむ、結構色んな業界が実は昭和なのかなぁ、と改めて感じたり。

ともあれ・・。なんとなくながら、私、「昭和」という時代を知っていてよかったなぁって思いました。
何故だからわからないけど・・・きっと、「平成」だけを生きているより色んな経験できたような気がする・・・。w

Friday, November 21, 2008

「読書進化論」(勝間和代)

ご存知、勝間さんの「本」の本です。彼女の読書好きは、有名ですよね。本屋に行っても、「勝間さんお薦め本!」とかいうPOPを最近ではよく見かけるようになりました。

さて今回もいつも同様に、Paris便搭乗の前に、本屋で「本」を物色し3冊ほど購入したのですが、その中の一冊がコレ。最近、出版社の方と話すたびに「Webの出現によって雑誌含めて書籍は辛い」というまさにタイトルどおりの会話が繰り広げられるので、「参考に読んでおこうかなぁ」程度の思いで手に取りました(実は勝間さん本を読むのは初めてでございます・・・彼女のファンの皆さま、ごめんなさい)。

で、感想・・・。

読書が云々という内容よりは、「書く」ことに対する技術、それを「売る」ということについての可能性的な部分の方が記憶に残るものでした。Webという自己表現が安易にできるようになったツールの出現によって、「本(書き物)」の立ち位置に変化が起きたこと。それにより、玄人と素人の境がなくなってきていること。で、「素人」がどうやってそのツールを生かし、「書く」→「売る」というステージに持っていくか、ってことが書かれていたという印象です。

私は「売る」ことには全く興味ないのだけど、「書く」ことは仕事上非常に多いので、「書く」ことに対するスキルについてはとても参考になりました。最近の私のテーマ(?)ともいえる「言葉」の重要性。今一度考えさせられたかな。

「書く」ことの変化については、どこかMacの一般化によって「描く」ことの素人デザイナーが増えたことと似ているかなぁと思っています。以前のデザイナーは、手を動かしていたけれど、今の多くはMacで作業でするので、素人と玄人の境がなくなってしまいました。私はひたすらアナログ発想なので、デザイナーと打ち合わせする際に、なんとなくざざっと手を動かしてくれて、お互いのイメージの確認作業ができると嬉しかったりするのですが・・・。まぁ、これも時代の動きなのでしょうね。

Wednesday, November 19, 2008

Paris旅紀行:Picasso & Manet

オルセーで行っていた展覧会「Picasso / Manet: Le déjeuner sur l'herbe」。予期せず開催していてはいったのだけど、とても興味深かったです。

今年は私にとって「ピカソ年」かのように、名古屋でも東京でも彼の展覧会を訪れ、且つNYでも彼の作品を目にしていたこともあって、ここパリでもまた彼に出会えたことにすごく感謝。

数年前、私は全くピカソの絵画を理解できなくて何が天才なんだろうなんて正直思っていたのだけど(失礼な話ながら)、ここ最近でしょうか。。。すごく彼と向き合えてきたような気がします。年代によって変化するピカソのタッチは、彼のチャレンジ精神をそのまま表しているようで、こんなにも異なった
作風を常に生み出す才能は類まれないものだと感じることができるようになりました。これまた自分の変化を感じることができて面白いです。

さて今回の展覧会は、マネの描いた有名すぎるほと有名な作品「草の上の朝食」のピカソのあまりにも傾倒しているオマージュ群を集めたもの。
正直、ピカソがこんなにも追求して(展覧会に展示されているだけで4年間)、描き続けていたことを全く知らなかったので、すごく興味深かったし、その4年の間にどんどんと変化し簡略化されていく作品をみるだけでピカソの一旦を知ることが出来た気がしました。いや〜、思わぬところで本当に刺激あるものに出会うことが出来て、嬉しかったな。

帰りに2枚のポストカードを購入。並べながら見つめてみると、本当そっくりなので別の作品をみているような完成形に驚きを隠せません。

ピカソ、やっぱり偉大なアーティストです。

Paris旅紀行:情操教育

午後からオルセーに行ってみました。

ずっと改装が続いていたので、全容をみるのは久しぶり。いつもは気に入った作品のみをピックしてみていたので、こんなにゆっくりみたのは何年ぶりだろう。展覧会を3つほどやっていたこともあって、めちゃめちゃ満足度高かったです。

オルセーというと、セザンヌやゴッホ、マネやモネなど印象派の絵画が有名ですが、今回はあえてその感想ではなくて、ここで目にした子供たちについて。

パリに限ることはないけれど、海外で美術館に行くと、子供の姿をよく目にします。今回もゴッホの作品の前で、先生と一緒に絵を模写したり、クイズ形式で画家と絵画を結びつけたりする授業を行っている子供たちに遭遇。この子達にとっては、何のことない日常なのだろうけど、日本で暮らす私にとってはすっごく贅沢な情操教育だよなぁって思います。うらやましーよなー。

初めて海外で教科書に出ていたアートに出会った時、何とも言えない感動で動けなくなったことが蘇ります。それまでも展覧会で日本にきた作品を観たことはあったものの、その作品がいるべき場所で落ち着いてそこにいるっていう環境が生むものってすごいって思うのです。運べないアート(壁画とか彫刻とか)も然りだけど、そのアートのバックボーンにある空気って大切なような気がするのだよね。ワガママいったら、その画家たちが描いた風景とともにある作品が一番贅沢で美しい気がする。

この子たちの将来がとても楽しみです。

Monday, November 17, 2008

Paris旅紀行:クリスマスディスプレイ

年もプランタンとラファイエットは、ディスプレイに気合いが入っています。

プランタンの今年のテーマカラーは「黄色と黒」、ラファイエットは大人な感じの「ピンク」をメインに飾っているようです。吹き抜けに用意された大きなクリスマスツリーの小型版が各フロアに整備されていて、なんだかどこを観ても美しかったなぁ。あと一ヶ月のクリスマスをこんな美しい光景を楽しみながら待つってなんだかいいですよねっ。

この二つの大型デパートは、子供用のディスプレイも用意されているので、ショーウインドの前には子供用のぼり段を用意されています。今年は、熊の行進(ラファイエット)と、マリオネット(プランタン)がテーマのようでしたが、残念ながらあまりの子供達の山に写真をとりそこねました(苦笑)。子供のためのディスプレイですもの、彼らを優先してあげないとね!

そういや昨年(はhttp://soeur-miyu.blogspot.com/2007/11/blog-post_5596.html)、「白」がテーマカラーでしたねこうして見ると、毎年ちゃーんとテーマ性をもちながら凝っていて面白いよなぁ。。これが東京の場合だと、各ラグジュアリーブランドショップが頑張ってつくっているけれど、老舗デパートであってもどこかお歳暮な匂いがする(!?)ウィンドウになっちゃうのでつまらないよね。あとは照明の色がどこか違うような気がする。。。なんでだろ?

帰国したら、銀座や青山あたりぶらついてみようかな。。。

Sunday, November 16, 2008

Paris旅紀行:犬と私・・・パリ篇

先月に続いて、一人バブル状態が続いている私。今回は、心のふるさとであるパリにやってきました。昨年も同じ時期(一日違い)に、ここに帰省していたので、一年ぶり。シャルルドゴールに到着しただけで、気持ちはすっかり晴れわたりました。NYもとても楽しかったけれど、やっぱり私はヨーロピアンマインドなのでしょうか。。。w

さて今回の旅の目的は、こちらに暮らす友人に会うことと京都・銀閣寺のお姉さんがこちらでワークショップを開いているというので、そこへ訪問すること。それ以外は、あ、一応ブルゴーニュのワイン蔵めぐりをしようと計画。まぁ、この空の下にいるっていうだけで満足なので、基本街歩きでいいかなぁ。。。なんて。

てことで、NYに続きブラブラ街を歩きつつ、またも「犬」に目がいく私を発見。昨年こちらに来た時はまったくそんな気持ちさえ起きなかったから、自分の変化に気づいて面白いものです。

犬オーナーはどこの国にいっても、笑顔でこちら(カメラ)をみてくれる。犬を介してこういうコミュニケーションが生まれるってなんだかいいよね、なんて改めて感じたりします。そして、その笑顔は世界共通。私はオーナーではなく、たんに仕事で関わっているだけの存在だけど、この笑顔が消えないようなそんなお手伝いができればいいなぁなんて思いました。

犬に癒される、そういう人もいるけれど、私は犬を介して生まれる人の笑顔に癒されます。笑顔ってやっぱりいいなぁ。。。

Wednesday, November 12, 2008

「ギルガメシュ叙事詩」


最近、厚意をいただいている方からのすすめで購入。私にとっては、まったく未知の「シュメール語」という言語で書かれた最古の文学らしく、興奮している相手を横目にしつつも、そこまで興奮するのであれば面白そうと誘いにのってみました(笑)。

で、読んでみたところ。確かにすごく興味深くて、こんな話が紀元前3000年にかかれていたという事にとても驚きました。

この詩がもつテーマとしては、現世と全く変わりません(しつこいけど、紀元前3000年ですよ!)。「ねたみ、増悪、娼婦、賞賛、権威」そしてなによりもの大きなテーマでる「生と死」
。どれをとっても、21世紀を生きる我々と変わらない。つまり人間の存在意義というか求めるものというのは、普遍性あるものなのでしょうか?

プラス気になったのは、二つの性について。「男」と「女」という性の存在と、神が定義づけている役割がなんとなく気になりました。フェミニストではないけれど、なんとなくこの時代から、「女」性というのは「男」性に対して、なんらかの変化をもたらす役割を担っているのではないかしら。「野」的な存在だった男が、「女」性を知ることによって「人」に変化していくということ。「女」主人が、ギルガメシュに恋をしたことが起因し神からの罰を生み出したこと。そして、せっかく手にした不老長寿の薬草を蛇(女の象徴?)が、横取りし食べてしまったこと。全てに関して、「女」性が絡んでいる。そういえば、アダムとイブのお話でも、「女」性であるイブがアダムをそそのかしたと言われていたっけ。。。ううむ

さて、薦めてくれた彼の感想。彼の専門は「動物行動心理」なるものなので、叙事詩にでてくるエンキドゥという男が「野」から「人」になったというくだりに興味をもったのだそう(以下、彼のメールから抜粋・・・)。

**********
何が「野」で何が「人」なのか。そしてそのきっかけはなんなのか?
科学的には「知恵」を持つという部分と「思慮」
が持ているようになるという部分だと思いますが、精神的深層部が知りたい。*********

なるほど、そういうことを考えるのかぁ。。。こんなに短い叙事詩だというのに自分とは違う観点で
モノを考え読み取っているのが、なんだか面白い。薦められて本を読み、感想を言い合うって、楽しみが倍になるようでちょっとお得な気分になりました。食わず嫌いはやめて、またやってみようっと♩

Monday, November 03, 2008

「アメリカ人の半分はNYの場所を知らない」

すごい単純な理由。先日NYに行ったから、ついつい「ニューヨーク」という文字が目に入って購入した一冊・・・。それほど私の本屋での濫読は、あまり指針がない証拠でしょうか・・・(爆)。

なんて不順な動機はさておき。とても面白い一冊でした。筆者は特に何も指針をださず、結論も自分の意見もこの中で全面にはだしていません。ただただ「だからあなたはどう思うのよ?」って問いかけている感じ。だからこそ、自分もいろんなことを考えて楽しめた気がします。まるで自発的に考えることを誘発した本?前回の一冊とは間逆ですね。

その昔、自分が海外とはまったくをもって縁遠い頃、私にとって「アメリカ」は自由の象徴であり、ディズニーランドであり、ハリウッド映画でした。アメリカに留学(OR仕事)していたというというだけで、拝みたくなるというか、無条件に尊敬できるようなそんなイメージ。今、思うとなんでだったんだろ?って思うけど、日本人にとってのアメリカってやっぱりそんなものでしたよね。

あれから数年たって、私もご縁あって国外の人と色々話をしたり接する機会をもって、そんな機会を通して自分のもつ世界観がなんて狭いんだろうって思えたことが何度もありました。忘れもしません。以前、付き合っていた彼は紀元前前の歴史をもつ国が出身で、私は北海道という数百年の歴史をもつ地が出身。「一緒にするなよー」と爆笑されたこと・・・あったよなぁって(まぁ、いまだにそれが全てじゃないと思ってるけど・・・ぶつぶつ)。

旅していると、いい面しか見えなくて憧れたりすることいっぱいあります。暗い部分がなかなかフォーカスされず、どこか世間知らずな状態で「晴れ」の状態だけ見て判断している。自分の仕事を振り返りつつ、ニュース(Media)はリアルなものではなくて、創作されたもの。それをちゃんと認識しなければって改めて思いました。

今週には新しいアメリカ大統領が選出されます。新しい時代がスタート。
私はどうする?

「質問力」より「言葉力」

某誌で薦めていたので、「それでは」と購入してみました。が、満足度は50%くらいでしょうか。ま~、手を変え品を変え、実は同じこと(ビジネスとして人と話とするときに、注意することについてのマニュアル)を言っている感は否めません。コンサルタントだしねぇ・・・この方・・・。

昨今、よく「傾聴する」ことが、ビジネスにおいて一番大切で、まずは「聞く体制をつくろう」なーんてことが言われていますね(最近読んだ本にも書いてあったなぁ。アクティブリスニングとか言うんでしたっけ?)まぁ、人は自分のことを話したい傾向が強いので、まずは黙るってのが一番効くっていうのもあるんだけど(苦笑)。で、この本はその反対。相手に話をさせて自己解決させる為には、どうやってこちら側が「質問」を投げかけ、どういう導きをするのがいいのか?そんなことが書かれている。はい、これまたよく言われているいことですね・・・。

私事になるけれど、仕事相手によってはめちゃくちゃよく話すという印象があるらしいのですが、実は一方で、ひたすら聞いていることが多いとも言われます。はてさて、その差は何なのか?なんて最近ちょっと考えてみたのですが、理由は簡単。

相手が私の元に営業でやってきて、「言葉」を持参してきてないとき、私はめちゃめちゃ話をしています。で反対に、相手が営業(もしくはMTG)でやってきて、「言葉」をたくさん持参してきたとき、私はひたすら聞き役に徹しているなぁ、というのが自己観察結果。だから当初出会った時、「言葉」がないMTG場で同席した人が、次に二人でMTGをして私が黙って聞いていると、「逆にドキドキする」らしい。なーんのこっちゃない、二人のMTGには「言葉」がいっぱいあるだけなのに(苦笑。

そんなことを考えながらの私の持論。質問力って「言葉」をどうやって見つけるか、だと思ったりします。
スキルとかもあるけれど、話をしている人や話をしない人が何を求めているのかを発見してもらう為に、色々なボールを投げてみる。相手の興味・関心を「言葉」の中から見つけてみる。そんなことじゃないでしょうかね。ロジックとかで導けるものもあるけれど、そうした結果が結局は新しい発見というよりは、これまでと同じ結論に導くこともある。それじゃー、つまらない。

なーんて、ちょっと偉そうなレビューをしてみました。

Sunday, November 02, 2008

みんなが言っている

ある案件でプレゼンを仕切りました。なんだかんだで2ヶ月かかったこのプレゼン。正直、「何故に私がこれ任されているんだろ?」と疑問に思ったこともあったけど、それはそれ。やるならちゃんとやんなきゃな~って思いつつの準備期間。かなりストレスたまりまくりつつも、いざ終わった時には自分に乾杯した気分になっていました。

が、それも束の間。席に戻るとメールが一件。
「そもそもこのプレゼンに意図がわからないし、今後○○といった改善してほしいです。みんな言っていました。・・・etc・・・」
大人じゃないと思いつつも、妙につっかかりたくなる私(爆)。「みんな」って誰やねん?

何かの本で読んだことあるけれど、日本人は「みんな」という言葉を使って、自分の考えとか感情を隠す傾向が強いらしいとのこと。「○○の方からきました」とか「○○みたいな」とかいうぼやかし表現も最近多いですよね。それは「自分の意見」というのではなく「みんなの意見」に転用しちゃうことによって、対象に(少なからず)プレッシャーをかけるといった意図&自分の責任の分散、という心理的判断があるらしいです。

「みんなが言っている」という、この言葉。突っかかっている私自身も反省するところだけど、なんとなくよく耳にする気がするし、何の気なしに使っている気もします。でもね・・・やっぱり自分の言葉や意見には責任もたねばって改めて思うのです。こういう日本語やっぱりよくない。

日本語、正しく使いたいです。

Saturday, November 01, 2008

「いつも、いい方向に人生が動く1%の人たち」

ュボワとは、ある偶然の出会いから4ヶ月ほどお世話になって、彼のメソッドセミナーも本人の誘いがきっかけとなり受けさせてもらいました。

出会った頃はちょうど現職や今後の自分の人生について、マックス値で疑問が生じていた頃で、
今思っても当時の私は動けば動くほどおかしな状況にいっていたなぁと思います。で、それをメールのやりとりの中で指摘してくれたのが彼。

当時彼と話した内容をかいつまんでいうと。。。

「エネルギーは無限大ではないので、上手に使ってかないと神様は怒ってしまう。

その方法は自分一人で見つけるのが難しいから、学ぶ場として僕もスクールをやったり本を書いたりしている。悩みを解決するに一番の方法は、とにかく行動をとっていくこと。アクションだ!

てな感じだったような気がする(記憶曖昧)。

で、なにげに藁をつかむ思いで彼とのセッションを始めたのだけど、結構これはこれで大変だったし考えさせられたかもでした(面白かったけどね)。

まずは毎回、デュボワには「力が入っている」と言われる。ちょうど父が調子悪くて、札幌との往復が続いていて、自分でも気が張っているなぁと思っていたので結構グサグサっと。でも張ってないとやってられない自分もそこにいて、その葛藤があったなぁ。またある日のセッションでは、「miyuは過去にとらわれている」と言われる。ううん、それは(いまでも)肯定できないから、これまた結構揉めたというか突っかかられたなぁ(笑)。というか、過去を消化するって大切なステップのような気がして、それは儀式として私の中に存在する。それは譲れない自分だなぁってその時気づいたのです。だから、その指摘は自分にとって必要だったんだって思える。そういう意味では、これも感謝の指摘だったかな。

そういえば、仕事を休んでいる時に受けていたコーチングの先生(トルコ人)にも、「miyuは本当にこれまで僕が請け負った生徒の中で一番困った子だ。仕事ができるのはよくわかるし多分これまで出会った生徒の中でもすごくレベルが高いと思う。だけど、全く僕の言うことを聞かないし、すごく自我が強いから心配だ。そのくせ自信がないのは何故なんだろう?」なーんて言われていたっけ。w

私はやはり頑固らしい。それがこんなにも日本人気質と思うのに、他者から「日本人らしくない(もしくは帰国子女)」と言われる由縁でしょうか?でも。。。私、納得できない限り、全てを鵜呑みにできないんだもの。それくらい選んでいけないのかしら?